ソーシャル・ネットワーク(2010)
「天才的IQが多いのは米国より中国だ人口も多いしねでもどうすれば学力試験満点だらけのなかで目立てるか」
「お前は俺の映画見に来たんだろ、だったらこれからよそ見するスキがないことぐらい分かってんだろ」
と言わんばかりの怒涛のセリフで始まるこの映画。
主人公マークとその彼女エリカの「カップル」の会話で始まっている。
でも、明らかにエリカは会話に疲れていて、
(それもそのはず、このカットは「俳優が疲れること」を目的に40テイクほど撮影された)
かくいう観客の私たちもほどなくその疲れの共有を余儀なくされる。
エリカと同じく私達も会話の意図が読めない。
話飛びすぎ、てかマーク早口だし、話の内容もなんなの、自己中なの???
そもそも、これがカップルの会話???
彼女との会話、裁判のシーン、友達とのやりとりとシーンを経ていくにつれて、
徐々にマークの人格は明らかになっていきます。
特に裁判の最中、マークはその「子供っぽさ」を露呈していく。
落書きをしてみせたり、皆が水やコーヒーを飲む中炭酸飲料を飲んでみたり。
見れば見るほど滑稽な映画だ、と思う。
この重々しいトーンさえ乗り切ってしまえばの話だけど。
特にマークについて「こういうヤツいるよなぁ」と笑ってしまう。
頭は良いんだけど、謙虚という2文字を知らない。
かといって自分が憧れるやつの言うことなら何でも聞くし、ひどいときはそいつの名言コピー機になるやつ。
「theは撮ろう」「マス14匹よりメカジキだろ」なんて。
特にジャスティン・ティンバーレイク扮するショーンの話を聞くマークの憧憬の眼差しは爆笑もの。
マークの真剣な表情はエドゥアルドの「こいつバカかよ」的な表情との対比で際立つ
この映画の大部分では
「友達だったはずなのに、裏切られ金づるとして扱われたかわいそうなエドゥアルド」への共感を余儀なくされます。
でも、まって、なんで主人公じゃなくてエドゥアルド???
よくよく考えてみたら、単に最初からマークに感情移入させるのではなく
アンドリューに感情移入することによってマークを「なんてやつだ!」とまず思い、
それから「ああマークも、、、うん、弁護士の言うとおり「悪い人ではない」んだなぁ、」
と丁寧にステップを踏ませることによってマークというキャラクターに深みをもたせてるんだなぁ、なんて思いました。
その他もろもろ、
・配役が最高だったり
「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」で大ヒットしたダコタ・ジョンソンもちょこっと出演
・どこが実話でどこが脚色されてるのか、
・デヴィット・フィンチャー監督ならではの撮影裏話
などなど色々探りがいのある映画でした。